Farcry5

発売日ぐらいにゲーム買ったの、久しぶり。偶然だけど、最新の大きいタイトルをやろうと思って、まさに自分向きの題材だったので買った。

「ファークライ5」はアメリカのモンタナ州のある地域がカルト教団に占拠されてるのを、暴力で奪い返すのがゲームの主題だ。教団は武器や車両・ヘリとかをすごい溜め込んでいて、薬物とかもすごいたくさん栽培している。

岩っぽい山々、ほとんどカナダ寄りの木々や川の感じ、そして車社会な道路や農場の配置、「いかにもアメリカの北の方」というオープンワールドを色んな乗り物で探索していくのが楽しかった。

小道具のデザインなどもリアルで良い。プレッパー(世界の終わりや有事に備えて小型の地下室などに色々なものを備蓄する人たち)がいかにも買い溜めていそうな飲み物の箱買いした箱、ビンの並べ方、鍵や資料をコルクボードに配置してる感じを、いかにもな素材で組み立てられたハシゴや二重扉を伝いながら見ていくのは、とても楽しい時間だった。

このソフトウェアとその開発行為が存在している場所は現実世界だし、中身は現実を利用して作られている。カルトも、国家も、プレッパーも、現実にあるものだ。だけどストーリーはめちゃくちゃで、特にカルト教団がしっかりしていない。信仰ではなく、暴力や薬物や催眠で全てが説明されていくので、あまり何かに納得するということをさせてもらえない。わざとかもしれない。

それでも僕が味わい深く楽しんだのは、プレッパーたちがいたからだ。ほとんどプレッパーは、遠くに逃げたり教団に殺されたりしたあとで、シェルターとかは、もぬけの殻になってる。そこに置き手紙とかがあって、主人公はそこに残された金や物資を攻略のために使う。プレッパーたちはカルト教団が訴えている「終末」とは違う方法で準備していた。でもいなくなった。備蓄したシェルターは最後の時間を過ごす「方舟」として構築されたはずだったけど、実はプレッパーたちはそういう物質的な方舟以外にも、もっとこう、なんていうか、概念的な方舟にずっと乗っている人たちなんだなと思いながら残された手紙を読んだり、金庫をピッキングしていた。

プレッパーたちの残した場所や物は出てきても、彼らはゲームに登場しない。そのことがなんとなく彼らの「成功」を感じさせていて、ドンパチの中にいる敵や味方がバカバカしくも思える。僕ならプレッパー一択だなーとか思いながらクリアまで遊んだ。

完全に現実的ではない娯楽作品で、基本的には「バーン!ドカーン!」って感じ。だけど、アメリカの非都市部のリアルな道路や自然に、メガチャーチ的なコミュニティを思わせる歌や宗教施設を組み合わせるだけで十分いろんな風味が出てしまう。「そういうなかをツアーして回る味」がするガムを噛み続けるゲームとして楽しんだ。まあまあ変な内容だとは思うし、どれぐらいの規模か分からないけど発売中止の署名運動もあったみたいだ。



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