生活

自分のものをスーツケースとバックパックだけにまとめてる。どうしても置いておかないといけないものだけ、日本で預かってもらう段ボール2箱に入れている。大事な物以外にも、税務署類とか、何年間か保管義務があるのだ。

記憶があるだけでも15回ぐらい引っ越してるけど、幼稚園の時のバッジ、小学校の時の紙、3年間に1つずつだけ何か手元に残ってたりする。20年前に買ったコッヘルとか、10年前にもらったmp3プレーヤーとか、気に入ったものが何度も引っ越しを生き抜いて残ってた。だけど今回はほとんど無くなった。今の自分の場合は生まれ変わるつもりでもあるので、こういうものとずっと一緒にいるのもダラダラした感じで良くないと思って、20個だけにした。僕の好きなビデオゲームは、こういうルールのものが多い。

変な感じだけど、ボールペン1つでも自分の所有でなくなると、空き容量が増えた感じになるというか、また新しい何かを迎え入れるゲージが増える感じがする。記憶が自動的に減ったり曖昧になったりしていく一方で物は薄くなっていかないから、余計そうなのかもしれない。中でも今日意外だったのが、定規だ。

pic

40センチぐらいの定規に、1円玉と5円玉が貼ってある。漫画の枠線をひくためのコインだ。乾いてないインクがビーってならないで済む。目盛りの反対側にはレールがあって、ここにスライドカッターとかをあれすることができる。

物としてはこれはいつでも適当な値段で買い替えられるし、毎日雑に使っていた。16年ぐらい使ってると思う。これを処分するためにコインを剥がしていた時に、なんか、「これを貼った時には、まさか全然剥がす想定をしていなかったなあ…」と思い、どちらかというと今日現在の自分の気持ちって、まだ、貼った時の自分にかなり近い位置にあることを感じた。

「捨てようとしてる自分」っていうのがいなくて、どこか信じられない感じでやってる雰囲気がした。ルール決めて強制でやってるのもあるかもしれない。でもこの定規でずば抜けてそれを感じた。

でもそれでいいなと思った。「ほんとにやっちゃうんだろうか」とか、「こんなことして後戻りできない」とか、そのぐらい信じきれない感じでいい。自分にとって予測可能、高い確実性、まあ大丈夫でしょ、などを感じる変更では、生まれ変わった感じにはならないだろうし。でも、定規は捨てたつもりで置いておいても良いかもしれない。



トップにもどる