ツイキャス

最近、ツイキャスをやりはじめた。配信は10年ぐらい前、stickamというサービスでよくやっていた。すこしあとにニコニコ生放送とかがサービス開始して、配信が一気に広がってからは、逆にやらなくなっていた。

でも最近、twitterが「雑でひどい使い方がデフォルトになってる」と感じるようになって、違うチャンネルを複数並走させようという感じで試してる。

twitterは手軽さがすごいので、雑にやろうと思えばいくらでもできる。「知性が高い必要はない」「情報が正しい必要はない」「不当な攻撃であってもよい」というような開き直りというか、初めから前提が全然違う人たちがいて、十分に場のムードを形成するぐらい大量にいる感じがある。

学校や仕事で忙しい人の数割は、「手軽でおもしろいひまつぶし」で時間を潰したいだろうから、そういう人がたくさん入ってくるとそういうカラーになるのは不思議じゃない。

そこで「こっちが正しいです、根拠はこれです」だとか「こうあるほうが知性があり、こういうメリットがあります」とか「その不当な攻撃はこういう不当性があります」とか言っても、指摘にはなるんだけど、そもそもその必要性を所有していないので変わらないことも多い。

そうして知性のある人の知性ががんがん無駄に使われていたりするのが、僕は見ていて厳しいものがある。で、自然と「書くだけで見ない」という使い方になってる。

福沢諭吉の想定してた「多事争論」というのは、もうちょっと知的向上心や良識を発揮する余裕のある人たちの間でしか起こらない気がする。これほど仕事や「意図しない消費」で時間や気力を削られてる人たちが、疲弊した状態で多事争論とは簡単にはいかない気がする。もちろん、ちゃんとした人たちはちゃんとした人たちで動いているし、無益でも何でも、まともな人というのはたくさんいる。

僕が今、勝手にそう感じているだけだし、余計なお世話でもあるので、ちょっとここにメモした。本当に、僕が勝手にそう感じただけだ。



トップにもどる